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本件和解における当裁判所の所見

平成13年11月9日 大津地方裁判所民事部

1 はじめに

 本件訴訟(第1次ないし第4次)は,平成8年11月20日の第1次訴訟の提起以来,4 年7ケ月余りにわたる審理を経て,本年7月2日,弁論を終結した。

 当裁判所は,本件事案の内容に鑑み,本件紛争を早期かつ全面的に解決するには,和解によるのが最善の方法と考え,同日,当事者に対し,和解勧告を行った。

 当裁判所は,和解案を提示するに先立ち,以下において,本件和解における当裁判所の所見を述べることとする。

2 本件の概要

(1)本件訴訟は,脳外科手術において凍結ヒト乾燥硬膜ライオデュラ(以下「ライオデュラ」という。)の移植を受けたところ,移植を受けたライオデュラがクロイツフェルト・ヤコブ病(以下「CJD」という。)の病原体に汚染されたものであったため,これによりCJDを発症したとする患者本人ないしCJDを発症し死亡したとする患者の遺族らによって提起されたものである。

(2)ライオデュラは,ドイツに本社を置く被告ビー・ブラウン・メルズンゲン・エー・ジー(以下「被告ビー・ブラウン」という。)が1969年(昭和44年)に製造を開始し,被告日本ビー・エス・エス株式会社(以下「被告日本ビー・エス・エス」という。)等が輸入したことにより,国内において流通した製品であって,被告国(厚生大臣)は,同製品に対し,昭和48年(1973年)7月に輸入承認をした。

(3)CJDは,1920年代初頭にドイツの神経病理学者によって発見報告された疾患であって,現在ではいわゆる狂牛病等と同じくプリオン病の一種とされているものである。それは,臨床症状として,記憶力の低下や視覚障害などの精神・神経症状が生ずるとともに,これらの症状が急速に悪化して,進行性痴呆ないし意識障害をもたらし,数ヶ月で無動性無言状態となり,通常は1ないし2年で死亡するもので,現在医学において治療法が確立されておちず,致死率100パーセントの疾患であり,患者及びその家族に深刻な被害を与えるものである。

3 被告らの責任

(1)前提事実

 CJDについては,1920年代初頭の発見報告後,海外において,その研究がなされてきた。1968年(昭和43年)には,米国のC.J.ギブス(以下「ギブス」という。)らにより,CJDのチンパンジーへの伝播実験に初めて成功したことが報告され,その後,フランスや日本等で同様のCJDの伝播性に関する報告がなされた。また,1974年(昭和49年)には,米国のP.ダフイーらにより,角膜を移植した患者がCJDを発症したと疑われる症例の報告が,1977年(昭和52年)には,スイスの C.ベルヌーイらにより,深部脳波電極を刺入した患者がCJDを発症したと疑われる症例の報告がそれぞれなされ,1985年(昭和60年)には,英国や米国を始めとする各国で,ヒト脳下垂体由来の成長ホルモン投与にかかるCJDが社会問題化するなど,CJDのヒト間伝播に関する知見(医原性CJDに関する知見)も積み重ねられてきた。その間,CJDはスローウイルス感染の一種と考えられるなどその発生機序は明らかにはなっていなかったものの,1978年(昭和53年)までには,ギブスらにより,CJD病原因子が大量の電離放射線等によっても完全に不活化することができないなどの滅菌困難性を有することについての報告がなされていた。

 このような海外の研究成果は,国内においても,医学雑誌や書籍等で紹介されていたほか,昭和51年(1976年)に厚生省が設置した「厚生省特定疾患スローウイルス感染と難病発症機序に関する研究班」において把握され,それらの知見が集積されていた。

 こうした状況のもとで,1987年(昭和62年)2月に米国の疫病対策予防センター(CDC)により,その週報であるMMWRにおいて,ライオデュラを移植した患者が CJDを発症したと疑われる初めての症例の報告がなされ(いわゆる第1症例報告),同症例は,国内外の雑誌等においても紹介された。

 米国の食品医薬品局(FDA)は,第1症例報告を受けて,同年4月には安全警告を,同年6月には輸入警告を相次いで発した。

 第1症例報告は,国内においても,同年6月には,厚生省の施設等機関である国立予防衛生研究所で把握されていた。

(2)被告企業ら(被告ビー・ブラウン,同日本ビー・エス・エス,同山本和雄及び同山本高嗣)の責任

 医薬品等(医療用具を含む。以下同じ。)の製造販売業者は,医薬品等の安全性につき第一次的責任を負っており,安全な医薬品等を消費者に供給すべき義務があるところ,製品の製造・販売後においても,その製品の開発から製造・販売までの間の調査研究や各種試験では予知できなかった製品の欠陥が生じる可能性があることに照らすと,安全かつ有用との認識の下に医薬品等の販売が開始された後においても,その製品の安全性に関する内外の文献等を収集するなど継続して調査する義務がある。

 ライオデュラは,ヒト由来の医療用具の一種であって,その原料が特定の伝達性疾患の病原因子に汚染されていれば,それにより作られた製品を介し,その疾患が伝播する性質を有するものであって,それを防止するため,硬膜提供者の選別(ドナースクリーニング)や個別処理,さらには,有効な滅菌処理を実施することが肝要である。それにもかかわらず,被告ビー・ブラウンは,第1症例報告を受けて1987年(昭和62年)4月にCJD患者を硬膜提供者の選択の基準から除外するまで,ライオデュラの製造過程において,上記措置をとらなかった上,原料の硬膜につき混合(プーリング)処理をしていたのであるから,殊にそのCJD病原体の滅菌については格別の注意を払う必要があった。そして,前記(1)アのとおり,1978年(昭和53年)ころには,ライオデュラについて当時行われていた放射線による滅菌方法ではCJD病原体の不活化が困難であることが明らかになっており,これに加え,角膜移植や深部脳波電極刺入による医原性CJDに関する報告もなされていたのであるから,被告ビー・ブラウンとしては,ライオデュラがCJD病原体に汚染され,その移植を受けた者からCJDが発症する可能性があるとの前提の下に,直ちに,ライオデュラの製造販売を中止し,既に市場に流通している製品の回収を努めるなどの結果回避措置を講じるべきものであり,その措置が講じられていたならば,本件被害の発生は一定の範囲で防止できたと考えられる。それにもかかわらず,被告ビー・ブラウンは,第1症例報告を受けて,1987年(昭和62 年)5月以降,1時間にわたる1規定水酸化ナトリウム処理工程を追加導入したものの,1996年(平成8年)6月にライオデュラの製造及び出荷を自主的に全面停止する決定をするまでライオデュラの製造を続けたほか,その導入以前の製品の回収は一切行わなかった。

 したがって,この点において,被告ビー・ブラウンの責任を否定することはできないといわなければならない。

 被告日本ビー・エス・エスは,設立当初の一時期を除いて,日本における唯一の輸入業者として被告ビー・ブラウンからライオデュラを輸入し,これを国内において独占的に販売してきたもので,国内におけるライオデュラの流通の起点に位置する地位にあったのであるから,ライオデュラの安全性等に関して,製造業者である被告ビー・ブラウンからの情報の入手,国内外の文献の収集,医療関係者等に対する情報の提供,厚生大臣への報告等についての責任を負っていたものであり,したがって,国内においてライオデュラを販売したことに伴って生じた本件の被害について,製造業者である被告ビ−・ブラウンと同様の責任を負うというべきである。

 また,被告山本和雄は,個人又は法人の代表者として被告ビー・ブラウンからのライオデュラの輸入販売を行ったものであり,被告山本高嗣は,被告日本ビー・エス・エスの代表取蹄役として被告日本ビー・エス・エスが被告ビー・ブラウンからライオデュラを輸入販売するについてこれに関与したものであるから,それぞれ,本件和解において,被告日本ビー・エス・エスと同じ内容の責任を負うものとして扱うのが相当である。

(3)被告国の責任

 被告国は,ライオデュラについて,前記2(2)の輸入承認の後においても薬事法に基づき諸々の規制権限を有していた。特に,薬事法は,昭和54年法律第56 号による改正により,法の目的が医薬品等の品質,有効性及び安全性の確保のために必要な規制を行うことにあることが明記された上(同法1条),いわゆる緊急命令の規定が新たに設けられたり(同法69条の2),医薬品等の製造等の承認の取消しの制度が明文化される(同法74条の2第1項)など医薬品等の安全性の確保に関する規制権限が強化された。そして,このような規制権限の不行使は,一定の場合において国家賠償法上の違法と評価され得るものである(最高裁判所平成元年(オ)第1260号同平成7年6月23日第2小法廷判決・民集49巻6号1600頁参照)。

 前記(1)アのとおり,第1症例報告がなされた時点で,既に,CJDの伝達性, CJD病原体の滅菌困難性については多くの研究報告がされており,医原性CJDに関する知見も積み重ねられていたのであるから,同2(3)のとおりのCJDが及ぼす深刻な被害の実状等に鑑み,被告国としては,遅くとも,第1症例報告を把握した時点においては,ライオデュラからCJDを発症する可能性があるとの前提のもとに,遅滞なく,薬事法に基づく緊急命令等の規制権限を行使するなどの結果回避措置を講じるべきものであり,その措置が講じられていたならば,本件被害の発生は一定の範囲で防止できたと考えられる。それにもかかわらず,被告国は,1997年(平成9年)3月に世界保健機構(WHO)の勧告を受けて初めて,被告日本ビー・エス・エスらに対して緊急命令を発し,ライオデュラの出荷停止及び回収等を命じたものである。

 したがって,この点において,厚生大臣の規制権限の不行使につき,被告国の責任を全面的に否定することはできないといわなければならない。

4 結び

 当裁判所の本件和解における所見は,以上のとおりである。

 本件訴訟の患者らは,いずれも脳外科手術を受けた際,たまたま移植されたライオデュラがCJDの病原体に汚染されていたものであったため,自らは何ら責任がないのに,現在医学のもとにおいて致死率100パーセントの疾患であるCJDを発症し,治療法の確立のない状況の下で,死亡するに至ったものである。

 そして,これにより患者本人及びその遺族である原告らが,深刻な被害を受けたものであることは,当裁判所においても,十分にこれを認識し,理解しているところであるが,本件訴訟外においても,いまだライオデュラ移植により同様の被害を受けた者が多数いることに鑑みると,原告らは,被害者全員についての早期かつ全面的な救済という観点を十分踏まえた上で,和解に臨むことを,当裁判所としては,強く望むものである。

 他方,被告らは,CJDが患者及びその遺族らである原告らに与えてきた深刻な被害の実情を虚心に受け止め,被害者らの救済を図るべき地位にあるものとして,真摯にかつ積極的に本件和解に臨み,被害者全員を早期かつ全面的に救済するとともに,本件のような医薬品等による悲惨な被害を二度と発生させないように努力を重ねることを,当裁判所としては,強く望む次第である。

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