くらしと健康 連載コラム
藤井基博
2001年6月
ある大手新聞社が1994年に行った理系大学生の人気企業ランキングのアンケート調査の結果、表題のように「女子大生は製薬会社が好き」という結果が出ました。これは果たして本当でしょうか?
理学部や工学部でアンケート調査をした場合、女子学生を見つけるのはなかなか困難で、ちっとも数が集まりません。理科系で女子学生が多いのは、なんといっても薬学部です。そこで、てっとり早く例数(N)を稼いで調査の精度をあげるために、集中的に薬学部で調査を行ったためこのような結果が出てしまったのです。
これは統計調査でサンプリングにバイアスがあった例です。普通、例数(N値)が高ければ高いほど、つまり症例が多ければ、多いほどその情報は正確であるとされますが、その症例が偏ってしまっていては間違った結果が出てしまうのです。これが統計でいう「バイアス」です。
バイアスは、「真の値から系統的に乖離(かいり)した結果を生じさせる、あらゆる段階での推論プロセス」ということなのだそうです。
簡単な例えでいえば、ラーメン屋さんが、スープをつくるとします。「誤差」は、同じお玉を使っているのに、その時々で、量が微妙に変化してしまう技術による差のこと。「バイアス」は、もともとのお玉の大きさが違うデザインによる差のことなのです。
「バイアス」を見抜けずに、そのままの手腕で、いくらうまくいかない!、と回数を重ねても、真の値には近づかないのです。
「医療は科学的だ!」と大声で言いたいのですが、実態が分かるにつれて、大声では言えないということが段々と分かってきました。医療の分野でおこるバイアスの例は、さまざまです。
日本語の論文しか参考にしなければ「言語バイアス」、論文の患者さんの特徴が代々木病院の患者さんたちの特徴と違うなら「選択バイアス」、患者さんが医師に病状を伝えるときには、「思い出しバイアス」、測定している機器が違うなら「測定バイアス」。
新薬の治験のときにも、サンプリング(どのような患者を選ぶか)、どのように薬効を評価するか、どのように集まったデータを解析するか。それらすべての点において、バイアスが入っていたことが分かってきたのです。
余談ですが、わたしたちの日常生活や人との関係には、どんな「バイアス」が存在するのでしょうか?・・・。バイアスを回避する方法は、「あ、バイアスがかかっているな」と気づくことです。
参考文献: 月刊薬事 1998.2、臨床疫学
2001年7月
ある会社で何十人かの社員が、健康診断で血圧を測定しました。この結果から、血圧を横軸に、給料を縦軸にプロットをすると、きれいな右上がりの直線グラフとなりました。つまり、血圧が高ければ給料が高くなる!、ということです。
これが真に相関しているならば、塩辛い味噌汁を毎日飲んで、運動はなるべくしなければよいことになります。
日本の企業も年功序列制が崩壊しつつあるとはいえ、年齢が上がれば、給料が上がっていくのは、ふつうです。また、年齢とともに血圧も上昇するのも、医学的事実です。したがって、血圧が上昇すれば、給料が上がるのは見かけ上の関係なのです。
このように2つの事柄で関連しているように見えて、3つめの事柄が実は影響している現象を交絡といいます。
また、米国ではこのようなキャンペーンもありました。「ニューヨーク市民でいるよりも海軍に入ったほうが死亡率が低いので、みなさん海軍に入りましょう!」。なぜなら、海軍の死亡率は1000人当たり9人、市民の死亡率は1000人当たり16人だというのです。数字自体に、嘘はありません。この場合も年齢という因子が絡んでいます。海軍の人は若いが、市民は子供、老人を含みます。死亡率を比較するのに、年齢を合わせて比較しないと不公平なのです。
薬の臨床試験でも交絡はおこるので、多角的な視野で患者さんの背景因子(年齢、性別、病気の重傷度など)を考慮しないとその統計データは、全く信頼できないものになってしまうのです。
「自分は○○○のせいで、病気になったのではないか?」。「○○○の方法で、具合がよくなる。」という声をよく聞きます。その理由は、本当の原因でしょうか?、交絡の因子でしょうか?。
参考文献: 月刊薬事 1998.2、臨床研究デザイン
2001年8月
梅雨時も暑い日々がつづきました。炎天下のもと、日差しとうまくつきあっていくには、どのような注意が必要なのでしょうか?
日にあたることは、血行循環をよくして、新陳代謝を促進し、骨形成を促進して、ストレスに対する抵抗力を高め・・・、など昔から健康の維持に必要とされてきました。しかし、いわゆる皮膚が黒くなる「日焼け」は一利もありません。
急性作用として、日焼けは、それ自体が「目に見える損傷」ですし、慢性作用としては、しわ及び色素変化などの変性作用、前悪性光線角化症、基底細胞癌、および扁平上皮癌、悪性黒色腫、DNA損傷作用をおこします。また、日光を浴びないからビタミンD欠乏になる、という理論はありますが、そういう臨床結果はありません。
では、どうすれば日焼けは予防できるのか?。
国をあげて対策を行っているオーストラリアでは「(スリップ)長袖を着よう!、(スロップ)日焼け止めをつかおう!、(スラップ)帽子をかぶろう!」が小学校から、徹底されています。
また、皮膚癌の予防研究では、対策としてβカロチンや、ビタミンAなどの摂取ではなく、日焼け止め剤だけが、障害を起こしにくかった報告されています。
「SPF」は、UVBという、レジャーで焼ける紫外線から皮膚を保護する力を示します。UBAという生活紫外線を保護する力は、「PA」で表示され、これも数字が大きいほど防御力が強いのです。生活紫外線とはいえ、皮膚の奥(真皮)までジワーッと障害し、癌化を促進するので有害です。
日焼け止め剤は、使っているという方は、ほんとうに正しく使えているでしょうか?屋外での日焼け止め剤の使用は、風、熱、湿度、および高度により効果が減弱します。
大部分の人々は、提示されているSPFを満たすのに十分量の日焼け止め剤を塗布していないそうです。多くは1平方cmあたり、0.5 〜 1mg程度しか塗らず、SPF15の表示のある日焼け止め剤をしようしても、実際のSPFは3から7なのです。必要な量は、1平方cmあたり、2mgです。この量を塗らないと表示されたSPFの効果は、ありません。しかも長時間の日光暴露中は、保護維持のために新製品の日焼け止めでも何度も塗り直す必要があります。
SPFでよくある間違えは、SPFの高い数値を塗って、安心してしまうことです。先に解説したとおり、新型の日焼け止め剤でも、環境により何度も塗り直しが必要ですし、実際のUBV防御率は、SPF15で92%、30で96.7%。SPF40で97.5%なのです。 アメリカ、オーストラリアでも発売されている商品は、SPF30くらいまでですし、FDA(米国食品医薬品局)でも「紫外線量の多い地域でもSPF30でカバーできる」としています。
日焼けは、夏だけの話しでは、ありません。生活紫外線は1年を通じてふりそそがれますので、地道に対処していきましょう。
2001年9月
インフォームドコンセントという言葉は、みなさんご存じだと思います。本来の意味は、「十分な説明と自発的同意」と訳されることが多いようです。
わたしが薬局から調剤したお薬を、患者さんにお渡しするときに「高血圧の薬を飲むなんて聞いていない」とか、「湿布の処方してくださるといっていたのに」と訴えられることがしばしばあります。一生懸命に説明を試みてもご理解いただけず、この数年間は「十分な説明」の困難さを思い知らされました。「簡単な説明と、半ば強制的な同意」になってしまうことも、間々でした(涙)。
しかし、医療従事者としてその困難さを評価すると、気がついたこともあります。「十分な説明」の前に、「十分な聞きとり」が必要ということです。患者さんは、疾患の治療のために病院に受診をしにきているのですが、その疾患の原因は、現在の体の中だけではなく、家庭でのこと、地域でのことなどひろくあらゆる要素がからまっていることがあるのです。本当に相談にのるべきことと、医療上必要な相談の区別は難しいのですが、まずはきちんと「十分な聞きとり」を実践しよう、と心がけたいと思っています。
もう一つわかったことは、説明をする方も受ける方も、医療のことについて詳しく説明したり、説明されることに慣れていなかったということです。
ヘルシンキ宣言が出されたのは、1964年。実に37年も前のこと。いい加減に日本でも定着しても良さそうなものなのですが、現状はまだまだです。とくに副作用の情報は、訴訟判例では「すべての副作用を説明すべき」といわれており、現実での困難さとのギャップを感じています。
最近では、いくつかある治療法を患者さんに提示し、その中から自分で治療法を選択していただくという、新たな流れ「インフォームドチョイス」が日本でも生まれつつあります。薬も患者さん自身で選んで貰うというのがグローバル・スタンダードになっていくそうです。インフォームド・コンセントというのは、「患者さんとの理解と、生活の好み」と訳せる日がくることを、私は願っています。
2001年10月
わたしたち薬剤師がベッドサイドや、薬局窓口で患者さんから、「この薬を服用するようになってから、とても調子がいいです。」とうれしい声をいただくことがあります。処方せん通りに薬をきちんと服用していただけるよう、薬剤師として努めています。そして、体の調子がよくなったら、どのタイミングで薬を中止していただくか?。これも大切なチェックなのです。つまり正常値を保てているのは、本当に薬によるものなのか?、常に見直すという姿勢です。
確かに薬には、臨床試験から血圧を下げたり、血糖値を下げるといった薬理作用があり、効果が発揮されれば期待される正常値に近づきます。しかし、治療薬によってのみ、検査値が正常値に近づくわけではありません。
はじめて、薬が処方されたとしましょう。処方までにはいくつかの検査を行っているはずです。ほぼ安定している患者さんの検査データを長い期間でみますと、ずっと高い値や低い値が続くことは少なく、高い値の後は平均値へと下がり、低い値の後は、平均値へもどることが多いのです。これを平均への回帰といいます。
たいていの慢性疾患の場合、運動療法や、食事療法といった「ふだんの生活で気をつけること」を患者さん自身も実践しはじめています。どんな症状でも検査結果は必ず変動をします。平均を挟んで変動するときに、何らかの介入が絡むと、無いはずの効果を思いこんでしまいます。つまり、食事療法+運動療法に、薬物療法が「たまたま」介入したときに正常値に近づくと「薬が効いた」と思えてしまうこともあるのです。こうなると、良くなったから治療を止めると悪くなってしまう可能性が高くなり、「あの薬は効果があった」と思えてしまうのです。十分な検査評価が行われず、患者さん、医療従事者の双方に発生してしまうと、ほとんど治療効果のない薬剤ですら有効に思えて、中止が困難になってしまいます。これでは、どんどん処方する薬が増えていってしまい、薬の山となってしまします。
検査値は薬剤によってのみ、変動するわけではありません。検査の有効性の出発点は、正確な診断です。運動、食事、そして薬剤。さまざまな要因を比較しながら、必要な薬剤の継続と中止を判断していく必要があります。
2001年11月
今日は秋空の日曜日。病院職員でバーベキューをする。昭島市の昭和記念公園は、自宅から電車で2時間半の道のり。楽しみにしてたとはいえ、やはり遠い。日曜日の午前に走る電車はゆったりとして好きな時間の1つなのに、車内のスポーツ記事はみな「テロ・米国空爆」と「炭そ菌感染」。気分はすっかりダイナシである。
米国のテロ報復。これは果たして正当か?。論議の余地はないと思うけれど、一言いいたい。
やられたらやりかえしなさい、と子どもへ教える親がいる。しかし、大人たちの判断で、しかも国家の判断で、やられたらやりかえすのは、やはりよくない。
点をとられたら、とりかえす。ライバル会社にシェアを奪われたら、奪い返す。ビジネスやスポーツの勝負ごとでは、やられたらやりかえすは積み木を積み上げるような「正の足し算」である。しかし打たれたら打ち返す、殺されたら殺しかえす。これは「負の足し算」であろう。
正と負。どこが分かれ目か?。
ヒロシマナガサキの被爆、湾岸戦争、薬害、おざなりな医療保険制度、高齢社会、教育課題、そして連載をしてきた「クスリのリスク」。21世紀までのあらゆるキーワードたち。これらのメッセージが伝えたかった、共通点は何か?。社会で生きるルール、人間らしく生活する権利の大切さ難しさ、そして人は簡単に体も心も傷つくこと。キーワードの原点は、「人を殺してはいけない」ではなかろうか。
サリドマイド、スモン、キノホルム、エイズ、ヤコブ。薬害をひとつとっても、多くの人命が天秤にかけられた。情報隠し、責任回避、怠慢体質、天下り禍、常識欠如。21の学びは、天秤にかけられる間もなく犠牲になったというほうが正しい。
つまり、人を殺しはいけない。これが正と負の分かれ目、0(ゼロポイント)だと私は思う。武器をつかって報復を!、と声をあげている人たちの0(ゼロポイント)は、どこなのだろうか。そして、傷つけあう「負の足し算」からは、何も生まれないことを再認識すべきだ。
・・・電車は無事に中央線の昭和記念公園駅に到着。30分遅刻したものの、気をとりなおせるか、わからないけれどバーベキューを楽しむことにした。